だいたいの場合、人と会うのが面倒な自分。それはおそらく、「減点されてしまう機会」と捉えているから。ちゃんとしなければと守りの姿勢に入ると、やりたくなくなる。
それを、「自分なりのギブができて相手からの評価を上げるアピールの機会」と捉えるとどうか。何ができるか、勝手に脳が考えはじめる。
その時、フィットインやちゃんとしようと守るのではなく、らしさを意識すると、よりブロッカーが外れ、攻めに出れる。
人と会うのは「自分らしいギブ」をする良い機会。
らしさを出していこう。
自由がないというのはほとんどの場合間違いで、選択肢がない、これしかできない、と思い込んでるだけの場合が多い。
もちろん、選択肢を勝ち取り続ける、それに対してベストを尽くし続けることは大事。
でも、ほとんどの場合は、「全ては可変である」ことを思い出せば、これしかないと思っていたことも「それ以外もあるのでは?」と思えてくる。
そう思えた状態が、自由。
その関係において何が理想かを明らかにし、その達成に向けて時間を過ごす。
反応的になりやすいのと、過去の出来事の収支があるので難しいが、テッペンを決め、上から考えることが効果的。
目的と手段の論理はほとんどの場合、目的が大事で、手段は目的達成に最も最適なものであるべきで、可変であるべき。手段は目的に従属するべき。という論調で使われる。
目的を生み出す
人生において、目標と手段は相互依存の関係になる。
過程で生み出される出来事が人生を構成している。
まず、目標と目的の混同から始まる。それがハッキリした場合、人生の目的は充実した時間を送ることと設定すべき。これを、何かを成し遂げたいなど、目標にすると、いけない。
挑戦すると、やめたくなる時があるが、その時に辞めずに続けることが成功の条件で、その時に何か信じているものがあると楽。
宗教でも、自分の能力でも、運命でも、市場ポテンシャルでも、自分のアイデアでも。辞めない状態を生み出し続けられるものなら何でも良い。
- 欲しい結果が何かを明らかにする
- 現状を明らかにする
- どうすればそこにいけるかを明らかにする
- そこに行くために毎日毎日前進する習慣を作る
欠点は、人生は過程が目的地だということ。欲しい結果を得られても、過程が苦痛なら、良い人生とは言えない。欲しい結果とは、過程を生み出すための単なるツールなのかもしれない。
先延ばししてモンスターを心の中で生み出す。でも、実はそんなに多くない。
随時振り返り、ブックマークしたり、手入れしたり、使える方に昇華させる。